「青葉山の緑を守る会」について

2.青葉山を取り巻く歩み
  • 奥羽山系の末端部で,藩政時代は青葉山の御裏林として入山禁止。明治時代は国有林となり人々は薪炭林などに利用。
  • 第二次世界大戦後、開拓者を募り、山林が切り開かれるが、政策転換後「青葉の森」は、宮教大をとりまく形で民有地を残し市有林となる。
    1970年代から都市化が進む。1974年(S49年)に「広瀬川の清流を守る条例」制定。翌1975年(S50年)に東北自動車道が泉インターまで完成し、生態系が分断される。
  • 1990年(H2年)自治省の「ふるさと創生事業」により、大規模な都市型公園開発計画・着工。市民に知らせず民有地を買い上げ、わんぱく広場など完成(H2〜6年)。
  • 1994年(H6年)7月末「青葉山の緑を守る会」結成、市・市議会との交渉開始。市民に広く訴え、工事反対署名2万4千名分提出。動・植物調査を行い、レッドデータブック記載の絶滅危急種、オオタカ、カザグルマ等発見。「自然環境学習の森」として、定例視察会&トトロかんさつ会、写真展、学習会など実施。
  • 1996年(H8年)7月「オオタカ営巣」を理由に、車道工事300メートルで中止される。
  • 1998年(H10年)地すべり地帯の排土工事について県と交渉、植樹に協力。市に対する管理等建設監査請求は却下される(H11年)。
  • 2002年(H14年)三居沢崖面工事は市民・行政・企業三社の約1年間の話し合いで、自然配慮型工法で実現、小・中生も参加の植樹式を行う。森の保護・保全を行い、豊かな自然を伝える市民運動展開中。
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